「もう行かなきゃ…」と頭ではわかっていても、気づけば布団の中でスマホを握りしめ、動画を探してる自分がいる。1回だけのつもりが、抜いたあと眠くなって、結局学校を休む。そんな日が続いて、自分がどんどん壊れていく気がする――でも、あなたは壊れてなんかいない。それ、脳がそうさせているだけなんです。
目次
「また抜いてしまった」──その罪悪感はあなただけじゃない
朝、目が覚めて時計を見たら9時。
「やばい…遅刻だ」と思う。でもそのあと、脳がささやいてくる。
「1発抜いてから行けばいいじゃん」
その声に従って動画を開く。
終わったら、眠くなる。そして、そのまま2度寝。
昼過ぎに起きて、罪悪感だけが体に残る。
「またやっちゃった…」と自己嫌悪に沈むあなただけど、それはあなただけじゃない。
実は、あなたの脳が「抜く」ことを“最高のご褒美”だと認識しているだけなんです。
自慰がやめられないのは脳のせい?──ドーパミン中毒という正体
自慰をするとき、脳からドーパミンという物質が出ます。
これは“気持ちよさ”の正体です。
このドーパミンにはやっかいな性質があります。
それは「もっとほしい」「またやりたい」と思わせる力があること。
しかも、何度も同じ快楽を繰り返すと、脳は「これをすれば幸せになれる」と強く学習してしまう。
つまり、自慰=報酬として脳に深く刷り込まれるんです。
この状態になると、あなたが「今日はやめよう」と思っても、脳が自動で“抜きルート”を選び始めます。
あなたが意志で負けたわけじゃない。
脳が、そう設計されてしまっただけです。
【快楽の罠】ティッシュが止まらないあなたの脳で何が起きているのか
最初は軽い刺激の動画でも満足できていたのに、いつの間にか内容が過激になってきていませんか?
「もっと新しいやつ」「もっと強いやつ」を探し続けて、どんどん深みにハマっていく。
これが、「新奇性の追求=ノベルティ・エッジ」と呼ばれる脳の性質です。
・飽きる
・慣れる
・だから、次を求める
このループに入った脳は、日常の楽しさじゃ満足できなくなってしまう。
学校に行っても授業は退屈、友達と話しても心が動かない。
それどころか、寝る→抜く→寝るのサイクルが一番安心できるようになってしまうんです。
気持ちいいのに不幸になる──自慰が心と生活に与える静かな崩壊
問題なのは、自慰そのものじゃありません。
その裏で、あなたの生活と心がすこしずつ崩れていくこと。
・朝起きても体が重い
・予定が狂い、自己嫌悪で何もできない
・他人と話すのがめんどくさくなる
・無気力、無関心、そして孤独
しかも怖いのは、これがゆっくり進むこと。
今日も明日も、大きな変化は起きない。
でも、3か月、半年、1年後、あなたの世界は“誰ともつながってない場所”になってしまうかもしれません。
それでも、スマホはあなたを「抜けば気持ちよくなれる」と誘惑し続けます。
「やめなきゃ」と思うほど見たくなる──意志力では抜け出せない理由
「もうやめよう」と決意した日ほど、
なぜかムラムラする。なぜか動画を検索してる。なぜ…?
それ、実は“抑圧反動”という心理の反応です。
「やっちゃダメ」と思えば思うほど、脳はその行動に執着するようになる。
これは僕らが悪いわけじゃなく、人間の防衛本能みたいなものなんです。
だから、「我慢する」だけではうまくいかない。
むしろ、それがストレスになって再発を引き起こします。
じゃあ、どうするのか?
抜くことを否定するのではなく、“別の報酬”を脳に与えることが必要です。
抜く代わりに何をする?──“報酬回路”を書き換える3つの新習慣
脳は、快楽のある方向へ自動で流れていきます。
ならば、快楽の“方向”を変えてやればいい。
以下の3つは、実際に報酬系を書き換えるのに効果があるとされる習慣です。
- 朝、布団の中でスマホを触る前に顔を洗う
→「目覚めたら抜く」を「目覚めたら冷水」に変えるだけで、脳のスイッチが変わります。 - 動画アプリのアイコンを削除して、雑学アプリを入れる
→「暇=抜く」ではなく、「暇=学ぶ」「笑う」へ報酬ルートを転換。 - 週1で外に出て、太陽を浴びる
→セロトニン(安心ホルモン)が出て、ドーパミン依存が和らぎます。
これらはすぐに効くものではないけど、“少しずつ抜かなくても落ち着ける自分”を作ってくれます。
まとめ
自慰をすること自体が問題じゃない。
でも、それがあなたの毎日を“飲み込むほど”になったとしたら、
それは「脳の暴走」が始まっている証拠かもしれません。
快楽は、脳にとって麻薬のようなものです。
「またほしい」と思わせて、行動を奪い、時間を食い尽くす。
でも、あなたの脳は“やり直せる”。
少しずつ報酬の方向を変えていけば、
抜くこと以外でも「気持ちいい」「嬉しい」「落ち着く」が手に入るようになります。
そして、ティッシュじゃなく予定帳が減っていく日が、きっと来るはずです。