胃が動いているあいだ、脳は休んでいる。そう言っても過言ではない。1日3回の食事が、気づかぬうちに思考力を削り、集中を奪い、時間をむさぼっている。もし30年間この習慣を続けたなら、5万時間もの人生が、食べることとその余波によって消えている計算になる。毎日小さく失っている時間の正体に気づいた瞬間、世界の見え方は変わる。
目次
なぜシリコンバレーは「食事の最適化」に執着するのか
Twitter創業者のジャック・ドーシーは、1日1食の生活を実践している。朝も昼も食べない。理由は「集中力と精神の明晰さを保つため」と公言している。
ドーシーのようなIT起業家たちは、食事の時間を「失われる資産」として扱う。食事による血糖値の変動が脳のパフォーマンスに与える影響を知っているため、エネルギーの無駄遣いを防ぐ目的で食事の頻度を極端に削っている。
米メディア「Wired」では、フードテックや“効率的な食事”に注目する起業家が多く紹介されている。彼らは共通して、食事を「嗜好」ではなく「機能」として定義している。食べる理由は空腹ではない。働くためだ。
食事が脳に与える“目に見えない負債”
消化中、体は血液を胃腸に集める。脳への血流が一時的に減る。結果として、集中力は一気に落ちる。これは医学的にも確認されている生理反応。
通常、食後の集中力の低下は30分から60分にわたる。1日3食なら、合計90分。年間に換算すると547.5時間。30年間で16,425時間が「ぼんやりとした頭」で過ごされる。
図1:
食事後の集中力低下時間
30分 × 3回 × 365日 × 30年 = 16,425時間
この数字は、大学の学位4つ分の学習時間に相当する。
想像図:人生が奪われるしくみ
例えるなら、1日3回、財布から少しずつ小銭が抜き取られていくようなもの。1円、2円では気づかない。10年経って、貯金がゼロになってから初めて「何が起きたのか」と驚く。
食事も同じ。目の前の食器を片づけた瞬間に終わる話ではない。体内での消化活動、集中力の低下、睡眠の質の悪化、体力の回復遅延。これらが1日ごとに蓄積されていく。毎日ちょっとずつ、気づかれないまま人生を削っている。
1日3食が削る“人生の5万時間”という現実
以下は、30歳から60歳までの30年間、1日3食を続けた場合に消える時間の総計。
- 食事に使う時間:60分/日
- 集中力の低下:90分/日
- 過剰な消化による疲労:60分/日
- 睡眠の質の低下:30分/日
- 体力回復の遅れ:30分/日
- スーパーでの買い物:10分/日
合計:280分/日 → 年間102,200分 → 30年で3,066,000分(=51,100時間)
図2:
280分 × 365日 × 30年 = 3,066,000分
⇒ 51,100時間(5万時間)
51,100時間あれば、以下のことがすべて可能になる。
- 工学、医学、法学、経済、心理学の学位取得(各10,000時間)
- 英語、中国語、スペイン語、ドイツ語の言語習得(各2,000時間)
- PMP、システムアーキテクトなどの国家資格取得(各600時間)
- 300ページの本を5,000冊読む(1冊6時間)
食事の「ついでに奪われる」もの
食事はただ食べるだけでは終わらない。
- 献立を考える時間
- 買い物に行く時間
- 調理にかかる時間
- 片付けにかかる時間
これらの細切れ時間が一日20〜30分ずつ積み重なる。集中が切れ、再び仕事に戻るまでに時間がかかる。意識は1回の食事ごとに“リセット”されている。
食べすぎによる睡眠障害と疲労回復の阻害
胃に食べ物が残っていると、副交感神経が優位にならず、睡眠の質が落ちる。食後3時間以内に寝ると、深い睡眠が阻害されることがわかっている。
また、消化には多くのエネルギーが使われる。運動に使われるべきエネルギーが内臓に回されることで、疲労の回復が遅れる。
体が回復しない。脳がリセットされない。次の日もまた、ぼんやりとした一日が始まる。
食事回数の削減で“時間の取り戻し”は可能か
1日3食を2食にするだけで、年間で6,460時間が浮く。1食にすれば、1万時間を超える。時間の回収率は極めて高い。
図3:
1日3食 → 51,100時間
1日2食 → 32,800時間
1日1食 → 18,200時間
差分=32,900時間(大学学位+読書4,000冊相当)
行動を変えるだけで、人生の構造そのものが変わる。
まとめ
食事の時間は、ただの「食べている時間」ではない。食後の集中力の低下、消化による疲労、睡眠の質の悪化、すべてが結びついて人生から膨大な時間を奪っている。
1日3回という常識は、誰かが勝手に決めた習慣にすぎない。その習慣に従い続けることで、51,100時間という取り戻せない資産が失われている。
食事を減らすことは、人生の余白を増やす行為。学ぶ時間も、考える時間も、休む時間も、すべてはそこから始まる。選択肢はある。もうすでに手の中にある。